東京高等裁判所 昭和25年(う)1743号 判決
被告人 鈴木利夫及寄木実
〔抄 録〕
被告人甲の弁護人Aの控訴趣意第一点について。
憲法は、その第三十七条第二項前段において、刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えらるべき旨を規定し、証人の尋問につき、被告人に充分な反対尋問の機会を与え、被告人の人権保障に遺憾なからしめんことを期している。而して、被告人に反対尋問の機会を与える点において、被告人の人権保障の上から言つて、鑑定人の尋問の場合と証人の尋問の場合との問に、その取扱に毫も経庭のあるべき筋合のものではないのであるから、憲法の右法条に単に証人とあるも、決して、鑑定人を除外している趣旨ではなく、広く、これを包含しているものと解しなければならない。されば、刑事訴訟法は、その第百七十一条において、勾引に関する規定を除き、証人に関する規定を鑑定について準用しており、証人尋問に関する刑事訴訟法における一連の規定中、少くとも、右憲法法規に則した規定はすべて、鑑定人の尋問に準用さるべきことは、言うまでもない。刑事訴訟法は、検察官、被告人又は弁護人に、証人の尋問に立ち会う権利を認めると共に、証人尋問の日時及び場所については、あらかじめ右立会権者にこれを通知すべき義務を裁判所に負はしめている外、裁判所外の証人尋問については、特に、考慮を払い、第百五十八条、第百五十九条の規定を設け、裁判所が必要と認めて、証人を裁判所以外で尋問するときは、あらかじめ、検察官、被告人及び弁護人に尋問事項を知る機会を与え、該尋問に、検察官、被告人又は弁護人が立ち会わなかつたときは、その立会わなかつた者に、証人の供述の内容を知る機会を与えなければならないし、且つ、その証人の供述が被告人に予期しなかつた著しい不利益なものである場合には、被告人又は弁護人は、更に必要な事項の尋問を請求することができる旨を規定している。このことは、鑑定人の尋問についても、前段説示するところに照らし、その取扱において、毫もその軌を異にすべき理由なきをもつて、裁判所が必要と認めて、被告人又はその弁護人の求めにより鑑定人を尋問した際、その鑑定事項につき、鑑定を命ずる旨を告げたのみで、その鑑定の経過及び結果は、これを鑑定書に記載して裁判所に提出することを命じた場合における鑑定書についても、事の性質上鑑定そのものに立ち会う由のない被告人又は弁護人において、その内容を知り、且つ、その作成者たる鑑定人を尋問する機会(刑事訴訟規則第百二十九条第三項は、鑑定人に、鑑定の経過及び結果を鑑定書により報告させる場合には、鑑定人に対し、鑑定書に記載した事項に関し公判期日において尋問を受けることがある旨を告げなければならないとしている。)を与え、もつて、被告人の人権保障に遺憾なきを期さねばならない。されば、所論の如く、所論鑑定書につき、原審の手続において、そのことのなかつたことは、とりもなをさず、その訴訟手続において法令に違背するの過誤を冒したものと言わざるを得ない。然し乍ら、記録について、更に検討するのに、原審弁護人において、被告人の本件犯行時における精神状態につき鑑定を求めたるに対し、裁判所において、原審第二回公判期日に、鑑定人竹山恒寿を尋問し、弁護人の右申請事項につき、鑑定を命じたる際、被告人及び弁護人は、共にこれに立会つてい乍ら、第四囘公判期日における最終の審理において、既に鑑定人から裁判所に提出されている鑑定書について、前段説示の如き裁判所の適式な手続上の措置なきにつき、何等の異議を申し出でた事跡なきのみならず、弁護人は、特に、他に取調を請求する証拠なき旨をすら陳述し、被告人また、これが陳述につき何等の異議を申し出でた事実もないのであるから、被告人及び原審弁護人は、被告人の精神状態についての鑑定を求むる利益を抛棄したものと言うの外なきをもつて、単に、原審に右説示の如き手続上の法令違反あるの故のみをもつて必ずしも原判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして敢て原判決を破棄する事由とするには足りない。なお、原判決には、刑事訴訟法第三百三十五条第二項の定めに拘らず、原審弁護人の、被告人が本件犯行当時心神耗弱乃至は心神喪失の状況に在つたという趣旨の主張に対し特に何等の判断を示していない違法があるが、記録及び当審事実取調の結果によるも、本件犯行当時被告人等が心神喪失乃至は心神耗弱の状況に在つたとの点はこれを認め得るに由がないから、右判断遺脱の違法もまた右同趣旨に出でた原判決に影響を及ぼすことなきに帰し、これを破棄する事由とするに足りない。論旨は理由がない。